今回は自他の区別という問題と、「死」に関して考察する会でした。
お集まりいただいた皆様、ありがとうございました。
皆さんに疑問や感じたことをお話しいただきました。
一番問題になったのは「自分」とは何か?という点です。
演劇をやっている方から、演技をする時、例えば、殺人犯役ならば、自分の中にある殺人犯になる1%の可能性を見つけ出して、それを拾い上げて、演じる。
それが、「自分」というものに近いのではないか?
この言葉を受けて、別の方から、「小さい自分」というのは舞台にいる役者で、「大きい自分」というのは舞台全体・脚本ではないのか?
これは非常に面白い見解で、世界霊魂論を彷彿とさせました。
若い方が多いので、新世紀エヴァンゲリオンの旧劇場版におけるATフィールドの真の意味とその崩壊、が示唆になるのではないかとの声も(エヴァは単体で開催予定です)。
また、「自分」は言葉で作られているならば、言語修得以前の赤ん坊を考えてみる、というご意見も。
この理性以前を考察すると、「狼に育てられた少年」も同じではないのか?
そう考えると、大人になっていくのは、退化(後退)なのか?なんていう疑問も。
他にも、爪を切ると、一体どこからが「自分の爪」で、どの時点からただのゴミになるのか?これを延長すると、攻殻機動隊の「ゴースト」問題になるのですが、こちらも単体でやります(笑)。
また、池田晶子の議論は、「他者性」が弱いのではないか?というご指摘も。
これは、ちょうど、私の指導教授も同じことを言っていたのを思い出し、考えさせられる論点です。
と、まあ、話は尽きなかったのですが、なんかエヴァンゲリオンと攻殻機動隊の前哨戦のようなカフェになってしまった(笑)