池田晶子『14歳からの哲学』のリレー哲学カフェの3回目、土日回です。
前回までの総論的なものから各論に移ってきます。
今回は、社会や家族と言った人間関係・共同体のお話。
ご参加いただいた皆様ありがとうございます。
今回は、家族にはじまって、社会や国家に至る、様々な段階の「人間集団」のお話でした。
ご参加された方々の感想
- とても身近な話に変わった。
- 結論は意外と常識的。
- (哲学の修士課程にいたので)中高生向けの文書が逆に新鮮。
- 論理的ではなくて、「縁」みたいなことを言うので、意外だ。
- 子供に聞かれたときに困るので参加してみた。
他者との承認
今回は他者関係でした。
なので、特に「承認」という点にスポットがあたりました。
特に親子においては、子供が成長につれて、親への承認を減らしていくのに対して、親は子供からの被承認欲求を捨てられない。
また、神から初認されたいとは、どういうことか?という議論も。
「神」というのは、結局自分の中にあるものだから、それは、自分が自分を承認したいと、言っているだけではないのか?
国家と社会
蟻のような社会システムを考えると、人間の国家や社会も同じように、高い視点からみると有機的な一つの生命体が如く捉えられるのではないか?
また、池田晶子は、「国家は抽象概念」と言い切りますが、それへの反論も。
ここで参考に挙げられたのは、サミュエル・ハンチントン『文明の衝突』。
ハンチントンは、この本の中で、中華文明圏の一部ではなく七大文明圏の一つとして独立に数えられています。
故に、他の「人口国家」はいざ知らず、日本には特別な地位があるのではないかと。もっと実体的な共同体としての特異性が。
いわゆる「日本特殊論」の文脈です。
もちろん、この文明圏の分け方や、「文明の衝突」論にも様々な批判が寄せられ論争にもなっています。
私的には、国際政治学特有の「危うさ」があるかな?と思っています。
国際政治学は他の政治学諸学と違って、生々しい実際の国際政治とやや距離が近いように感じるのです。
これは、シンクタンクやロビイストに力が強く、猟官制を採っている米国において一層顕著であり、国際政治学者の論文や著書が、いわゆる客観的・中立的・分析的ではなく、ホワイトハウスなどの権力機構と相互作用している場合があるということです。
ハンチントンの理論の底にあるのは、「赤狩り」のような「国内文化・価値観の引き締め」である。
奥山真司『地政学~アメリカの世界戦略地図』五月書房、2004年、225頁。
上記のような見方もある位です。