今までのコラムで、本を買う、借りることについて書いてきました。
「でも、本を買うとか借りるとか、大変だからその場でコピーを配ればいいんじゃない?」
・・・はい、ダメです。
それって違法
冒頭からすみません。
当然、出て来る要望なんですが、結論からいうと、少なくとも、当カフェでは行っていません。
なぜ、できないか?
・・・え?私がコピーするのを面倒くさがってるから?
違います違います。
これは、「著作権法」で制限されているからです。
http://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/seidokaisetsu/gaiyo/chosakubutsu_jiyu.html
(文化庁ホームページ)
・・・長いよ。
えーとですね、簡潔に申し上げますと、「哲学カフェで、本をコピーし、配布して、読む」という行為は、著作権法に抵触しているとしか解釈できませんでした。
「え?大学や高校で、授業でコピー配ってたよ」
はい、そうですね。
著作権法では、例外的に、教育機関でのコピーをある程度認めているようです。
ただ、哲学カフェは、私的な団体なので、残念ながら該当しません・・・。
著作権法は、本を書いた方、本を出版した会社さんの権利を守るためにあるので、守っていきたいと思います。
なので、皆さん。
本は、買うか、借りるかしてくださいね!
コピーで理解できますか?
さて、先のお話は、社会的な理由でした。
でも、もうひとつの理由からも、コピーはお勧めできないんです。
それは、「本」というものが持つ性格からです。
「本」は、その著者が、相手(読者)にその内容をどう理解してもらうかという事を、慎重に計算して、細心の注意の下、意図的に作られています。
名著・良書の類ならば尚更です。
- どんな誤解が生じるか?
- どんな反論が予想されるか?
- 論理展開に誤謬はないか?
それらを計算した上での1冊なのです。
ところで、哲学カフェの場で、配布するコピーというのは、その「本」の一部抜粋にならざるを得ません。
(まさか全部コピーして、その場で何時間もかけて読まないでしょう)
「本」全体を通読して、著者は、自分の主張を、明らかにしたいと考えているのに、一部抜粋でそれを理解できるでしょうか?
やはり、本は1冊、全て通読した上で(例外もありますが)、対話にのぞんだ方が、より良い議論・体験になるのではないでしょうか?
哲学対話の会というのは、どこも大概、2時間です。
その2時間で、「抜粋で読む、考える、発言する、対話する」という行為を詰め込むのは、あまりに忙しすぎますよね。
せっかくの、名著、良書なので、少し余裕を持って、味わって、読んでみたいものです。
※当コラムの法律理解(解釈)は、主催者個人のもので、その見解に責任を負いません。
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