今回は、日本文学史にその偉容(異様?)を誇る形而上小説『死霊』をテーマに哲学カフェを行いました。
大変難解で知られる『死霊』。
果たして、哲学カフェとして成立するのか?
自分で企画しながら、半信半疑だったのですが、なんと今回、遠く福島県から多数の方がご参加頂きました!
『死霊』に魅せられた研究家の方などのご参加もあり、大変勉強になる会となりました。
生憎の雨の中、ご参加された皆様、特に遠路御越し頂いた皆様、ありがとうございました。
さて、今回は、『死霊』の中でも第七章「最後の審判」から「影の影の影の国」の部分を抜粋して、議論の対象としました。
なぜ、この部分か?とご質問があったのですが、アカデミズムの場でない哲学カフェの短い時間と、入り口のハードルの高さから、いわば、劇中劇で、かつ、埴谷の思想のエッセンスの詰まった箇所として選びました。
皆さんのご感想は
- 日本文学史の中で孤立している(孤高だ)。他の日本文学作品よりも凄まじいものがある。
- ドストエフスキーの「大審問官」の再現だ。
- 読むこと自体は止められないが、もはや苦行。
- 形而上学深遠(深淵)さが、他の追随を許さない。
- なんでノーベル文学賞獲れなかったの?
と、感想の時点でこの勢いです。
議論の中では、今回の箇所、特に、次々を弾劾されていく場面を、「反出生主義」の文脈で考察したいというご意見が。
思想界隈では、最近、「反出生主義」が話題ですね。
実は埴谷は、その日本における代表的思想家なのではないのか?
確かに、「死の中の生」の胎児の主張や億単位の兄弟殺しなど、相通じるところは多いかもしれません。
また、文学は、その文学者の経験に裏打ちされる故に、埴谷の文章からも、その刑務所生活(政治犯)の仄暗さが伝わってくる。
これは、埴谷に限らず、いわゆる転向組としてなんとか生き残ったインテリに共通のものだという印象があるとのご指摘。
『死霊』を研究されている方からは、初稿と定本を比較すると、小説的な面白さを定本からは削除し、あえて、それこそ「苦行」のような小説に仕上げていて、そこに、埴谷の形而上への執念を見た、というお話もありました。
私は、『死霊』を読むと、そこの「狂い」、狂気を感じるのですが、長年研究されている方からは、逆に「狂い」は無いとのご意見がありました。
なるほど、これが長年研究してきた方の埴谷との関係なのかと、思い至りました。
ある意味、研究するとは、埴谷と同化して同じ思想の位置に立つことですから。
恐縮にも、御著書まで頂戴いたしました。
埴谷雄高が今なお生きる来世「再生国」を舞台にした一種のユートピア文学だそうです。
埴谷を自ら再構成(再構築)する試みですね。
尽きることのない大変有意義な会でしたが、残念なのは、若い方のご参加がなかったこと・・・。
一番若手が私ですから(苦笑)
皆さん、埴谷と同じ時代を生きた方々でした。
参加者の方からは、「若い方への“精神のリレー”をしたかった」という言葉も漏れていました。
私の力及ばず・・・。
でも、東京と福島の精神のリレーは出来たかしら?
(福島が、“あの日”から「フクシマ」となった今、その意義は大きいはず・・・)
『死霊』という巨大な山に挑戦することは確かに、躊躇してしまうかもしれませんね。
特に活字離れと人文軽視の昨今ですと・・・。
それでもなお、読む価値、読まれる価値がある本だと思います。
最後に、池田晶子の埴谷雄高評を。
話だけを聞いている限りは、完璧に狂気の領域である。
しかし、狂人には見えない、論理がちゃんと成立している。
すると、あの人はいったい何を「して」いるのだろう
池田晶子『メタフィジカルパンチ~形而上より愛をこめて』文芸春秋1996年、38頁。