今回は池田晶子『14歳からの哲学』リレー哲学カフェの5回目でした。
今回も土日回と平日回を併せて、まとめさせていただきます。
ご参加いただいた方々、ありがとうございます。(お写真は2月5日)
賛否両論
始めに、次のようなご感想を頂きました。
- 大した発見がない本。相変わらず大人の為の自己啓発に過ぎない。
- 読んだ後、実際に他者と話してみないと、理解が難しい気がする。
- 後半以降、池田個人の価値観に接近して格言じみてきている。「詰め」の根拠がない。そういう意味では甘い。
- 抽象的な話から具体的な話になった。
- 後半に来て、語り口が熱い(こだわりを感じる)
- この本の中では唯一、賛同できる箇所だった(他は肯定できない)
- 意味はわかるが、実感としては全然わからない。
今回も、賛否両論の展開となりました(笑)。
模倣は悪か?
一番、多くの疑問があがったのが、「真似る」(模倣)ことは、そんなに悪いことなのか?という点です。今風に言えば「リスペクト」ですか。
まずは、一流を真似ることが大事なのではないのか。真似こそが、「本物」に近づく為の基本なのではないか。
これは確かに説得力がある反論でした。
そもそも、人は真空で生きられない。文脈の中で生きているのだから、何かを模倣することか逃れられないのではないか?
もし、模倣に正邪をつけるなら、目的しかないのではないか。
ただただ「本物」の世界を観たい(行きたい)が為に成す行為なのか、何か別の利益といった「卑しい」目的(売名とか)なのか。
参加者の方が、以前読んだ内田樹の著書での、こんな話をしてくれました(出典は失念されたそうです)。
能などの伝統芸能が、発展して行くには、師が弟子を教える際に、自分ではなく、自分と同じ「方向」を見せなければならない。
師を見ている弟子は、師がゴールになってしまい、師のコピーを目指してしまい、「本物」を見ていない。師が見ている「本物」の世界を向かせることが大事だ。と。
なるほど、示唆に富む内容だと思いました(どなたか書名教えてください)。
模倣するのは師ではなく、その視線の先にあると。
また、「本物」「偽物」というが、そもそも、誰かに需要、承認されなければ、意味がないのではないのか?というご意見もありました。
例えば、無人島で「本物」の歌を唱うことに意味があるか?
これには反論があって、それは意味がある。アート・文化がないと、人は狂う。人として生きていけない。動物になってしまう、との意見が挙がりました。
これらのご意見を聞いていて、ハンナ・アレントの『人間の条件』を思い出しました。
アレントは人間の行う行為を
- 「活動」:人間の条件
- 「制作」:人の条件
- 「労働」:生命体の条件
の3領域に分けていて、それぞれ、下から③生命それ自体の条件(身体の欲求の充足)。②人工的なものを制作し、自然界から分離された人間の世界性(独自性)の条件。①事物が介入しない、人々の間で行われる行為(対話)としての複数性の条件に対応します。
文化を持つ、持たないが、動物か、人か、人間か、のある意味分かれ道のようにも思えます。
ちなみにアレントは、単独性を重視しがちな形而上学に反対して、複数性、つまり①「活動」を重視しています。
古典は本当に重要か?
古典のお話では、歴史の審判を受けたものが古典として残っているというが、実は、ノスタルジア、懐古主義ということはないか?との反論もありました。
例えば、エジソンが偉大なのがわかるが、最先端はそれを遥かに凌駕しているではないか?という例が出ていました。
これに対して科学などにおける技術知と哲学知の文脈は異なるとの反論がありました。
発展・蓄積していく科学技術(但し、クーンの様に、この見方にも異論がありますが、ここでは置いといて)に対して、哲学のような学問の古典はそういう蓄積・発展型ではない。という論です。
これを聞いていまして、アリストテレスの学問区分を思い出しました。
アリストテレスは学問を、
- テオリア:普遍(不変)的なものを対象(形而上学)
- プラクシス:行為者が研究対象(政治学、倫理学)
- ポリエーシス:行為者の外に運動原理がある(医学、芸術)
に三分割しました。
少なくとも、①のテオリアに関わるものならば流転しない不変である故に、その古典も最大の価値を持つかもしれません。
ちなみに、この区分ですが前述のアレントの三区分とも一部対応しています。
- 活動⇔プラクシス
- 仕事⇔ポリエーシス
最後の感想
色々と論点、議論が出ましたが、最後に皆さんのご感想を。
- 何か面白い古典を見つけたい(古典嫌いなので)
- 「古典=権威」だと思っていたので、フラットに考えられるきっかけになった。
- 実感や肌感は大切なので、論理的に正論でも、すぐには納得しないようにしたい。
- 対話で言葉にすると、相手に伝わっているか、伝わっていいないか分かりやすい。伝わっていないということは、実は自分もよくわかっていない証拠だと理解した。
皆様ありがとうございました。
いよいよ『14歳からの哲学』も次回以降、終盤です!