【開催後記】池田晶子『14歳からの哲学』を読む⑥~「宇宙と科学」「歴史と人類」を考える~

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*2020年3月7日に開催した哲学カフェのレポートです。

池田晶子『14歳からの哲学』のリレー哲学カフェも、終盤に入ってきました。

今回は「宇宙と科学」「歴史と人類」を考える会でした。

Philosophy cafe20200307-2

ご参加いただいた皆さまありがとうございました。

最初に今回の箇所を読んでのご感想をお聞きしました。

  • スケールが大きくて、とても良い。
  • 物質至上主義への反対論がしっくりきた。
  • 普段ぼんやり考えていたことが明瞭になった。
  • 「精神=自分」という構図を自明にしているのが、肌に合わない。

色々と議論はあったのですが、主だったものをご紹介します。

特に「宇宙」と「時間」という概念の関係を議論する会となりました。

胡蝶の夢

結局、今、この瞬間が夢なのか、現実なのかはわからない、というのが正直なところ、だと仰っていた方がおられました。

世界五分前仮説のお話も飛び出していましたね。

また、視覚情報が複雑であるが故に信頼し過ぎてしまっているとのご意見も。

視覚が無かったらどうなるか?盲状態であればどうか?

それも、先天的か、後天的で、意味合いが全く異なるのではないか?

メアリーの部屋に関しても言及がありました。

宇宙と時間

今回は「時間」に関しての議論が多かったように見受けられます。

現象というのは、詰まるところ、「時間」によって起きている。

“ビッグバン以前に何があったのか?”という問いの立て方自体が、既に「時間」に縛られている。

そして、それは、因果の直線軸だ。そこには限界があるのではないか?

宇宙を物質から捉えようとすると、その生成過程があるのだから、時間は必要。しかし、それを捉えている精神があるならば、それは、時間を超えているのだから、そこに時間は必要ないのではないか?

このように書くと、理解するのに難儀しそうですが、実際の対話の場では、SF文学を例に出しながらお話が進みました。

哲学としてのSF

時間のお話では、主に、テッド・チャンの『あなたの人生の物語』を例に引きながら議論が進みました。

本作では、すべての現象(時間)は、その一瞬の言葉の中に囲まれています。

この論点は、別の会を予定しています。明日の開催ですが、本作の映画をご覧になったことのある方、よろしければ是非ご参加ください。

(ご参加されない方は、後ほど開催レポートをご覧ください)

科学と人間

科学は、“巨人の肩に乗る”のたとえの通り、継続し、発展していくのでしょうが、人間は、短い、一過性の人生であり、万人はゼロスタート。

これは、「モノ」の進化に追いつけない、ひいては、科学に弄ばれるのではないか?

そんな危惧も意見ではありました。

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