*2020年3月20日に開催した哲学カフェのレポートです。
今回は日本コミック史の金字塔とも言うべき岩明均・作『寄生獣』の哲学カフェを開催しました。
ご参加いただいた皆様ありがとうございました。
今回は、最初に参加者の皆さんの髪を1本ずつ抜かせていただきました。
パラサイトが混じっているかもしれませんので(嘘)。
はじめに皆さんから様々なご感想を頂きました。
- 最初は、ただただグロテスクな印象しかなかった。
- ミギーや田村玲子が客観的・哲学的視点を投げ掛ける存在。
- 子供のころは“エログロ”への好奇心でページを開いてみたのが、懐かしい。
- 切り口が多様で面白い。
- “食人”が日常に溶け込んでいる感が斬新。
様々なお話が出ましたが、以下で主だったものをダイジェストでご紹介します。
広川の存在
市役所掃討戦で自衛隊に射殺された市長の広川。
そこで初めて、彼が、ただの「人間」であることが判明し、自衛隊員らは驚愕します。
なぜ、彼はパラサイトとして設定されなかったのか?
参加者の方からは、広川を人間にして、パラサイト集団側に立たせることで、更に、猟奇殺人犯浦上を、曰く「俺と同じことをやっているだけ」という、パラサイトと同じ思考の側に立たせることで、この作品が、「種対種」の戦いではなく、「思想対思想」の戦いに見せたかったのではないか?とのご意見がありました。
人間のエゴ
この作品には、人間のエゴを暴露していく面が多々あるとのお話もありました。
「命の線引き」ですね。
「価値」ある命をカテゴライズしていく。
それは自分の価値観を投影しているものであり、実はそれほど根拠のある話ではない。
参加者の方からは、狩猟に参加したエピソードがありました。
「解体」していると、その動物を「殺す」ことへの抵抗感が、段々と失われていく心境についてでした。
社会における「潜伏」と漠然な「不安」
参加者の方から、現在の新型コロナウィルス禍での社会の漠然とした緊張感や不安感が、作中の「連続ミンチ殺人」で社会不安が発生している光景と重複するというお話がありました。
未知の脅威に対する集団心理。客観的なデータが出されたとしても、人はそれを見ません。
もっとも、寄生獣の世界では、日本政府は隠蔽しますが・・・。
余談ですが、日本政府がパラサイトの“見分け方”を社会に密かに流す描写がありますが、あれはミステイクではないかと。安易に市民を危険に晒さないかと。
あと、こういった際に広まる無責任な噂や陰謀論の類は、結局、人が「物語」性を有するが故に、何らかの「物語=意味」を付与しなければならない本性なのではないか、というお話もありました。
パラサイトの存在理由
一体、パラサイトとは何なのか?
作中では明言されません。
「わたしが人間の脳を奪ったとき 1つの『命令』がきたぞ…… “この『種』を食い殺せ”だ!」
(田村玲子)
では、この命令を出したのは「誰か」?
意見として、これは、地球の自己防衛機能による産物ではないか、というのがありました。
地球環境への脅威となった人類の“間引き”ですね。
広川の演説はほぼこの線でした。
しかし、この防衛機能は一過性のものではないか。
なぜなら、種としてのパラサイトには生殖能力ないので、種として次世代に存続し得ない。
ですから、広川の、食物連鎖の上にパラサイトを置く構図は無理がある。
さて、“地球の自己防衛機能”と考えると、ちょうど、J・E・ラヴロックの「ガイア理論」を連想するのは飛躍し過ぎでしょうか?
対話を終えて
最後にもう一度、ご感想を。
- 作品というより作品のディテールが好き。作風が独特で、異端な存在。
- 文化論と「境界線」ばかりを考えてきたが、別の視点も発見できた。
- 先見の明に脱帽する。また、最後まで破綻せずに終わらせたのは凄い。
- 人間は不合理性に支配される存在であり、客観性から目を逸らさないようにという教訓を得た。
- 論者によっては蛇足と評される、キャラやサイドストーリーにも大変魅力を感じる。
- 人間性とパラサイトの本能とのせめぎ合いを考えさせられた。
興味深い時間をありがとうございました。
コミック、アニメーションは今後も開催いたしますので、是非ご参加ください。