哲学カフェで一体何がやりたいの?

outdoor cafe

結局、「君は何がやりたいんだね?」というお話。

哲学カフェなんて酔狂なものをやっている目的のお話なんですが。

大きく二つの目的があります。

1.「抽象空間」の入り口としての哲学カフェ

要するに、哲学って何?

と、聞かれたら、これはもう色々な見解がありそうなんですが、私は「言葉における最高度の抽象化」と考えています。

「言葉」というのが、肝要で、これを数字に置き換え「数字における最高度の抽象化」はそのまんま数学です。

哲学と数学は双子の姉妹みたいに思っています(反論、異論はあるとおもいますが)。

で、「哲学は最高度の抽象化」って言われたって、何をどうすればいいのか?て話ですが、基本、哲学書はみんなそれをやっていると思うんです。

その哲学書というのが曲者で、専門家しか理解できないような難解な書がわんさかあり、困った事に、そういう手強い系の方が書名や人名が有名で、初学者もほいほい手に取ってしまう。

しかし、ページを開くと・・・。

それで討ち死に多数みたいな。

それならば、討ち死にせずに、せっかく哲学やろうとしてくれている同志の皆様を、弱輩ながらお手伝いしようと決起いたしましたのが当哲学カフェです。

即ち、参加者の方々で抽象思考を実践する場としての役割です。

2. 「場」としての哲学カフェ

子曰く、
「学びて時に之を習ふ。亦説(よろこ)ばしからずや。
朋有り、遠方より来たる。亦楽しからずや。
人知らずして慍(うら)みず、亦君子ならずや。」


『論語』

ぶっちゃけ、哲学(考えること)は、一人で出来ます。

アカデミズム(哲学史研究)みたいなものだと話は変わりますが、哲学それ自体は、一人で考えるしかない。

でも、それって、まあ、孤独なんですね。

孤独は悪いことではありませんが、時に辛い。

そんな時、向学の志、そんな大それたものではなくても、抽象的な思考に関して語り合う場が、市井にもあってはいいではないか。

thinking man

そんな目的というか意義をもって、主催致しております。

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