*2020年3月20日に開催した哲学カフェのレポートです。
今回は、ドゥニ・ヴィルヌーブ監督による映画「メッセージ」をテーマにした哲学カフェを開催いたしました。
ご参加頂いた皆様ありがとうございました。
今回は映画の回だったのですが、全員、テッド・チャンの原作『あなたの人生の物語』を読了されていて、映画と原作、比較しながらの議論になりました。
さすが現代SFの旗手とも言うべきテッド・チャンです。人気が高い。
最初に皆さんにご感想をいただきました。
- 原作と映画は焦点が違う。
- 原作のインパクトが大きすぎて、映画が入ってこなかった。
- 原作と映画は別物として見るべき。
- 認知・認識に興味があって観た。一回挫折したが、もう一度挑戦。でもやっぱりよくわからない。
- 原作小説は、SFのオールタイムベストワンだと評価している。
- 「時間論」と「ファーストコンタクト」を上手く両立させている。
- よく映画に出来た。と、感心した。
以下、主要な議論を振り返ります。
言語が変わると世界は変わる?
サピア・ウォーフの仮説に関しては、何度も話題に上りました。
特に本作は“強い仮説”に依拠しているものではないか。
また、サピア・ウォーフの仮説との関連で、「その当該の言語を学ばなければ、特定の思考(論理展開)は理解できない(展開できない)」という考え方の賛否で議論がありました。
例えば、“古代ギリシア語を理解できなければ、ギリシア哲学は理解できない。”のような。
確かに、ヘプタポッド語は、それを「理解」しない限り、ヘプタポッドも見ている世界観・認識を「見る」ことはできない。
一方、地球の諸言語間では、どうか?
チャンの何が凄いのか?
テッド・チャンの何が凄いのか?
それは、一見、いわゆる「タイムパラドックス」ものに見えるが、全然違うのものだ、という意見がありました。
タイムパラドックスのように、いくつかの世界線があったり、選択肢によってそれが変化する、という古典SFの定番とは、全く違う思考の視点を、チャンは提示している、と。
ヘプタポッド語は、全時間(過去、現在、未来)が、同時に存在しています。
そこに「選択」の余地も「変更」の隙も無い。因果律の完全否定です。
運命論なのか?
この、ヘプタポッド語に関しての議論は、今回のカフェの時間の大半を占めました。
- 娘の死を「知っていて」も、なお「決断」する姿に深く考えさせられた。(これには、そもそも「決断」の余地も無い、という反論も)
- 同時に全時間が存在する世界を想像できない。(だからチャンは凄い)
- キリスト教の「予定説」の具現化か?
- 言語自体が時間(時制)に縛られるので、人間の理解の範疇外。
- 「神の視点」に到達する物語?(「いや、全知ではないだろう」という反論)
- 2つの言語の間の悲劇。
- ヘプタポッド語は「漢字」に近いと思う。抽象的で自由な文字。
- 「自由」「自由意志」の余地が無くなってしまう。
最後に
最後に、皆さんに一言いただきました。
- 「未来」と「自由意志」と「言語」を連関させたのは凄い。斬新。
- 時間の超体験小説。
- チャンは中短編ばかりだが非常によく練られている作品ばかり。普通の人生や私小説とは全く違う視点提供してくれる。
- 気分として、「同時に全時間を理解する」ということを味わうことが出来る。
- 非ロゴスとしてのレンマ学に興味がある。それにヘプタポッド語は近い気がする。
- 愛の物語として読んだ。「喪う」を反復する人間の不思議。時間に縛られない「喪う」というのは新鮮。
- 自分の視野の限界を知れた。
- 映画と原作の見る順番で、かなり感想が変わる。
皆様ありがとうございました。
私も、非常に、よく練られた哲学的なSFだと感じました。テッド・チャンとドゥニ・ヴィルヌーブには今後も注目していきたいと思います。
ドゥニ・ヴィルヌーブに関しては、2020年5月にも↓
ちなみに、テッド・チャンは中国系アメリカ人ですが、最近は中華系SFが興隆を見せています。こちらも大注目のSF作家、2020年4月開催↓